はやりやみ (10): 狂犬病

鹿児島大学獣医公衆衛生学教授 岡本嘉六

 

世界の大半の国で狂犬病が発生しているが、日本国内への侵入防止の第一線で活動している検疫官を取材した記事が目に付いた。輸入される生きた動物および畜産物が悪性の伝染病を持ち込まないことだけでなく、愛犬と同伴で海外に出かける場合の手続きも多いようだ。

空港物語:/7 家畜防疫官 /大阪

◇「伝染病から守る」使命感 さまざまな生き物を検査

毎日新聞 2009131日 地方版

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タイ・バンコクで国際空港が閉鎖された昨年11月。狂犬病の抗体検査の有効期間が切れる直前に、関空に帰国予定の犬がいた。輸入検査は厳格で、1日でも期間が過ぎれば、日本到着後、180日間、空港内の施設で足止めされる。現地にいる飼い主と連絡を取り、乗り継ぎ便の情報を伝え、なんとか帰国できた。

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欧州における狂犬病

狂犬病によって世界で何人死んでいるか?」で欧州の死亡者数の推移をみたが、欧州の「狂犬病の広域調査と研究のためのWHO協力センター(Rabies - Bulletin - Europe)」からの情報を基に、もう少し詳細にみてみよう。「Dynamics - Options」で「Human cases」を選択して得た表から作成したのが下図である。症例数としてあるが、その大半は死亡例であると思われる。1990年からの19年間で146症例あったが、その内の106例はロシアによって占められていた。次に多かったのはウクライナの10名、そしてドイツの7名と続くが、欧州の狂犬病が沈静化している中でロシアの対策が遅れていることを反映しているものと推定される。

 

狂犬病清浄国である英国でもこの間5名の症例が報告されているが、それらを英国保健省の「Rabies: Frequently Asked Questions」で調べた。コウモリからの感染事例を含めているが、狂犬病ウイルスと関連するウイルスの区分が問題となる件であり、後日改めて説明する。それ以外は、全て海外で犬に咬まれて感染した症例であり、暴露後ワクチン接種を受けなかったために死亡している。2008年の1例は、上記のグラフにはまだ含まれていない。

2001年 症例1:フィリピンで2頭の犬に咬まれたが(両方の犬はその後死亡)、暴露後ワクチン接種を受けなかった。それから6週間後にロンドン病院で死亡。

2001年 症例2:狂犬病流行国で足を咬まれ(犬は1週後に死亡)治療を受けた(ワクチン接種であったかどうか不明)5ヵ月後に英国で死亡。

2002年 症例1:狂犬病に類似した症状で病院に運ばれた男性が死亡し、コウモリ由来のlyssavirusに感染していたことが確認された。(この件については、後日改めて説明する)

2005年 症例1:インドで犬に咬まれた英国人が帰国後死亡し、狂犬病と診断された。

2008年 症例1:南アフリカで動物を扱うボランティアとして2年間活動していた人が北アイルランドに帰ってから発病し、英国狂犬病診断センターで狂犬病と確認された。

 

動物における狂犬病の流行状況を「Rabies - Bulletin - Europe」の「Distribution of rabies – Options」で調べた。欧州で狂犬病の病原巣となってきたのはキツネであり、それが家畜を含む人間社会に狂犬病を持ち込んできた。したがって、キツネの狂犬病を制御することが大命題であり、下図に示した上欄の国々では制御に成功しているが、下欄の国々では難攻しており、ロシアとウクライナは増加傾向を示している。ここにある数値は、確認頭数であり、森の奥深くで人間に発見されることなく狂犬病で死亡しているキツネの総数は不明である。

 

狂犬病ワクチンが開発されたのは、1885年、ルイ・パスツールによることは伝記で読んで知っている方が多いだろうが、その後の人間や伴侶動物を対象とする予防接種は、基本的には弱毒化した狂犬病ウイルス(生ワクチン)を注射するものである。野生動物に免疫を付与するためには、捕獲して注射する方法は非現実的であり、餌に混ぜて経口投与する必要がある。従来のワクチン株を経口投与しても免疫は付与できず、経口投与しても有効な新たなワクチン株を作成するため遺伝子組み換え技術が用いられるようになり、それが実用化したのは1980年代に入ってからである。経口ワクチンを入れた小袋を魚粉、脂肪、パラフィンで包んだ餌を作り、森には飛行機やヘリコプターで撒き、都市周辺部は人手で置いた(Control of rabies)。

下図は「フランスにおけるキツネの狂犬病(Fox Rabies in France. Eurosurveillance, 10(11), 2005)」からの引用であり、その説明を下記に要約した。

キツネの狂犬病がフランスで最初に確認されたのは1968年であり、当初の対策は感染地帯のキツネの生息数を減らし、犬等へのワクチン接種とヒトの予防対策のみであった。毒餌、銃器、毒ガスを使った間引き作戦の効果は低く、キツネの狂犬病は北方の国境地帯から南下して次第に範囲を広げてしまった。1989年に大規模な経口ワクチン接種計画が決定され、流行地域の外周から「ワクチン接種帯(vaccination belt)」を形成して清浄地を確保し、流行地を中心部まで次第に狭めていった。そして、約10年後にキツネの狂犬病を撲滅することに成功したのである。

 

野生動物における流行から、人間社会の家畜へと狂犬病が持ち込まれてきたのだが、家畜における狂犬病の発生状況を、キツネの制御に成功したドイツと未だ苦しんでいるロシアを例に下図に示した。広大な原野を保有しているロシアは、「ワクチン接種帯(vaccination belt)」を作ろうにも莫大な経費を必要とし、対策が進んでいないことが家畜の罹患頭数の推移から見て取れる。

イヌよりもウシの頭数が多いことは、前回の韓国のデータでも触れたが、集団で飼育されており、逃げ足が遅いことが反映している。ブタも同様の状況に置かれているが、畜舎が比較的閉鎖的であることと、狂犬病に対するブタの感受性が低いことが幸いしている。ネコはイヌに匹敵する罹患数であり、唾液中の狂犬病ウイルス量がイヌより少なく、咬まれた際の感染性がイヌより低いとされているものの、警戒すべき家畜である。折から、繁殖期を迎えた野良ネコが近所で喧嘩しているが、飼いネコでもワクチン接種されていない日本に狂犬病が侵入した場合を想定すると背筋が寒くなる。

Rabies - Bulletin - Europe」の「Distribution of rabies – Options」より

 

(つづく)